1970年に米国の構造設計者のロバートソンを訪ねる機会があり、シアトルにある彼の所属する Skilling, Helle, Christiansen, Robertson事務所へ行きました。彼は骨組みの応力解析を電話回線を使って端末から電算センターにアクセスしていました。日本ではまだこのシステムはなく驚愕しました。自分の作品をいくつか説明してくれましたが、現在建設中のミネアポリスの連邦銀行ビルを日本に帰る前に見てきたらと勧められました。1階には側面にしか柱がなく、大空間を保ち、2階以上は最上階のハット梁でサスペンドしており、この構造に感激しました。その後、彼から連絡があり、ニューヨーク港湾局の依頼でWorld Trade Center 110階の超高層ビルをやりはじたので見に来ないかとのことでした。その後も連絡があり計3回建設中に見学できました。このときの見学がもとで、後の免震構造の開発の切っ掛けとなりました。WTCの床張りの端部にVEM(Visco Elastic Material)材を使って振動のエネルギーを吸収しているとのことでした。エネルギーの吸収ができる材料を初めて知りました。VEM材を教わったことこそが、後の免震構造(当時減震構法と称していた)開発へとつながりました。




1975年4月21日大分県中部地震が発生(M6.4)し、「九重レークサイドホテル」が崩壊しました。このことは我々設計者には大きなショックでした。上司と共に現地へ行き、原因調査に約2ヶ月現地に留まりました。建物外周は欄間を設けた外柱と内部は長柱の構造でしたが、最初に欄間の短柱が破壊し、その後内部の長柱が座屈したものでした。 このとき強く感じたのは、なんとかして建物の損傷を防げないのかとの思いなやみました。壊れる原因は地震のエネルギーが建物に入ってくるからで、これをなんとか入らないように出来ないかと考えていましたが、よいアイデアが見つかりませんでした。
そのとき、ロバートソンのVEM材を思い出しました。1977年上司の矢島四朗氏と技研の河村壮一氏らと建物に入る地震動エネルギーを減ずる、減震構法を模索することになりました。建物の下部に砂をしくとか、水に浮かべるとか色々思いつくままに討議しましたが、結論が得られるわけでもありませんでした。1978年まず下図のような建物模型を製作し、技術研究所の振動台で試験をすることになりました。建物と基礎との間に減衰装置(VEM材)を設置した模型ですが、肝心なVEM材の性能データは3Mは開示できないということで製品だけを提供してもらい性能不明のまま試験することになりました。試験結果は、エネルギー吸収は素晴らしく、まさに入力を減らすことがわかり、これだということになりましたが、時間がたつと建物模型は傾いてしまい鉛直支持能力は全くないということでした。そこで鉛直支持はボールベアリングにして水平力だけをVEM材で対応すると云うことになりました。



1979年東京建築研究所山口昭一氏とお会いし、氏が免震構造に関心がある人々が集う会を催していることを知りその会に参加しました。免震というワードを知ることになります。そこでは梅村魁・多田英之・秋山宏・長橋純男等先生方と相沢覚・速水浩・飯塚真巨・鈴木哲夫・武田寿一・早川邦夫・西川一郎等技術者の方々と出会うことができ、免震構造に対する思いが高まりました。後に、これらの方々の熱意により日本建築学会に免震構造少委員会が立ち上がり、また、その後日本免震構造協会が発足しました。
1980年当時の運輸省から、成田空港近くの山田地区にARSR(Air Route Surveillance Radar)航空路監視レーダー塔建設の発注があり、これがなんと免震構造によることとなっていました。はじめてのことでしたが、これに応募しました。連日連夜考えに考えてやっと下図のような免震構造としました。工作物ではありますが、我が国初の本格的免震構造を完成することができました。大成建設設計・施工の山田ARSR塔でした。この免震構造はVEM材は用いず、極めてメカニカルな、河村壮一氏のアイデアによるロックピニオン併用の十字型転がり支承と鋼製ばね・防舷材で構成されたものでした。このレーダ塔は2002年まで20年間使用されました、その後老朽化に伴い新設の塔に変わりました。


以下の写真は解体時に大林組技術部の海老原和夫氏が撮影されたものです。免震架台の写真を見ますと錆の発生はみられるもののロックアンドピニオン式の十字型転がり支承や鋼材ばね、防舷材も20年間よく活躍してくれたものと感無量でした。この架台は解体されましたが、大林組によりすべり支承を用いた山田ARSRは新設されております。
ロバートソン氏からVEM材を教わり、建物の崩壊を経験して、ほぼ10年間悩んで過ごした結果がこのレーダーサイトで、やっと免震構造の扉がすこしだけ開けたような思いがしておりました。 草創期に係わる免震夜話でした。



可児 長英(かに ながひで)
一般社団法人日本免震構造協会 フェロー/元 大成建設株式会社 設計本部 副本部長


