1987年から1991年まで、米国マサチューセッツ州のMIT(マサチューセッツ工科大学)の近くにサブタイトルのR&Dオフィスを設置していた。目的は世界の最先端技術情報の収集。米国は勿論のこと、世界中の大学・研究機関を訪問して歩いた。オフィスは米国企業として登録していたので、American Society of Civil Engineers(ASCE)の関連組織Civil Engineering Research Foundation(CERF)のメンバー企業(米国企業のみ参加可能)として登録した。CERF調査団メンバーとして世界中の最先端建設技術情報収集活動にも参加した。アメリカの調査団だからこそ受け入れて貰えた見学場所も多かった。CERFでは多くの米国企業の技術担当と知り合った。そのうちの一人、ウォルト・ディズニー・イマジニアリングの研究開発部門担当副社長ベンジャミン・シュベグラー博士とは地球温暖化で世界が必要とする技術は何かを良く議論した。浦安の東京ディズニーランドでも、地球温暖化が進めばもっと高い防潮堤が必要になるかもと話していた。
米国滞在中のもう一つの大きな経験は東海岸にあるベンチャーキャピタル(VC)への参加である。三井物産と清水建設がこのVCに投資をした。投資先のスタートアップの人達や投資対象技術に数多く接するチャンスを得た。このVCの投資方針はポートフォリオ的であった。利益が少なくとも成功の確率の高いスタートアップと成功の確率は低いが成功すれば利益大きいスタートアップに適切に配分して投資する方法である。重点技術分野には担当ベンチャーキャピタリストがおり、世界中のスタートアップをウォッチしていた。このVCでは投資したベンチャーに良い経営者を紹介することを行っていた。ベンチャーマインドと経営マインドは一致しないことが多いからとのことだった。
スタートアップと言えばシリコンバレーである。アメリカの大学で最も良く行った大学はスタンフォード大学である。シリコンバレーはスタンフォード大学が始まりで、大学の敷地を「スタンフォード・インダストリアル・パーク」としてヒューレッドパッカードのようなIT・コンピューター企業を設置したことが始まりである。
私がR&Dオフィスを設置した場所はMIT近くのグレーターボストン・ケンブリッジ市にあるケンドールスクエアと言う場所である。ここにはMITの学生や卒業生がスタートアップを設置していた。彼らは寝袋を持ち込んで泊まり込みで商品開発をしていた。アメリカ人は時間が来たら会社を退出すると聞いていたのでびっくりした。当時はシリコンバレーやケンドールスクエアに限らず、全米各地にハイテクゾーンが設置されていた。シリコンヒルズ(テキサス州オースティン)、シリコンフォレスト(オレゴン州ポートランド)などなどである。スタートアップ企業を支援するオフィス(インキュベーションオフィス)も数多く存在した。
1991年に帰国してからはNPO国際建設技術情報研究所を設立し、米国滞在中に知り合った世界中の大学の建設分野のリーダー的存在の教授達にも理事になって頂いた。欧米は勿論、アジア(中国・シンガポール等)のトップ研究者にも参加して頂いた。世界中の建設技術研究開発を調査して分ったことは、20世紀末から21世紀初頭のことであるが、建設技術の研究開発は日本がトップだと言うことであった。アメリカの建設・エンジニアリング会社は自分達自らが建設技術の研究開発は行わない。技術は他から調達するものだと言う考えであった。特に米国のエンジアリング会社(ベクテル、フロアダニエルなど)は技術のみならず、資金・人材を含めて全てのものは外部調達し、プロジェクトが終了すれば全て放棄する。抱えていれば費用が発生するためである。技術を保持するとその担当技術者も抱える必要があり、その技術が古くなった場合、新しい技術の採用の障害となると言う論理である。アメリカのエンジニアリング会社でも化学薬品製造の触媒技術は自社で保有していた。その触媒が無ければ、その化学薬品の製造プラントが出来ず、触媒技術の保有は製造プラント建設を独占出来るためであった。但し、その触媒技術は自社開発ではなく、大学などの研究機関・他産業・他企業の技術で、その技術と自社のエンジニアリング技術を融合(Fusion)させて化学プラント技術に纏めていた。当時始ったばかりのIT技術は自ら開発するケースが多かった。理由は「人件費を削減出来る」が主であったが、ベクテルはITの未来性を高く評価して自主開発を進め始めた。ベクテルのIT技術は進歩を遂げ、飛行場の荷物運送用システムが建物の梁・柱に当らないかをチェックするために3次元動画などを作成していた。
米国滞在中でのIT関連の話題として特筆すべき事は、APPLEのマッキントッシュPC(Mac)とインターネットである。日本では未だIBMの大型コンピューターの時代に、MITやハーバード大学の学生はMacを使い始めていた。インターネットの始まりは軍用のパケット通信ネットワークである。それを民間活用するために全米の有力大学で試験活用が始まっていた。私は早速東京本社へ、大型コンピューターの時代は終わり一人一台のパーソナルコンピューターの時代になると情報を送ったが、無視された。IBM大型コンピューター担当部署や営業本部(IBMは重要得意先だった)が猛反対したためであった。日本のゼネコンとアメリカのエンジニアリング会社の会社運営、技術の扱いには大きな差のあることを感じた。
アメリカ滞在中は、日本ゼネコンの技術研究所は競い合って独自の技術開発を行い、世界の建設技術開発をリードする素晴らしい仕組みと思っていた。しかしながらアップルのスティーブ・ジョブズは、「創造性とは物事をコネクトするに過ぎない(Creativity is just connecting things)と言った。独創性とはConnectivityで、独創的な人とはコネクトを当たり前のこととしてやっている人とも言える。IT時代なのでコネクトがより容易な時代である。ジョブズがモバイルコンピューターと音楽ソフトを結びつけてiPodを誕生させたのもその例である。iPodはソニーのウォークマンのPorting(転用)でもある。他分野の技術を自らの分野にPortingすると言うことは、他分野の技術と自分の分野の何かを結びつけることで、PortingとConnectivityは表裏一体である。簡単に言えば、何かを開発したいと思ったら、他分野や他国の材料・技術・ソフトで使えるものが無いか探せば良いと言うことである。これはかって米国駐在時代に観察したベクテルなどのエンジニリング会社がやっていたことである。IT化の時代でそれがより容易になった。ネット検索時代で、あっという間に世界中の情報を入手出来る時代である。良く考えてみると建設産業の技術の多くは他分野からのPortingである。MOT(技術経営)では新技術開発はPorting, Connectivity, Fusionで行われると議論されている。Fusion(他社の技術と自社の技術の融合)も米国エンジニアリング会社が40年前にやっていたことである。オープンイノベーションの時代と言われているが、これも同様な発想である。
藤盛 紀明(ふじもり としあき)
NPO国際建設技術情報研究所 理事長/元清水建設株式会社 常務執行役員 技術戦略室長 兼 技術研究所所長